歯医者なら長久手市のKuniデンタルクリニック

院長・スタッフ紹介 STAFF

院長紹介

患者様にとって歯科医院を好んで来られる方は誰もいないと思います。皆様は、何かお困りがあって来院される患者様ばかりです。勤務医として勤めていた時から、患者様がどんな気持ちで、どんな思いで歯科医院に行き、どんな気持ちで診療台の上で治療を受けていただいているか、身にしみる程理解しております。その期待にお応えできるように、いつも「痛みを出来る限り少なく、丁寧に、誠意・誠実」に診療さていただきます。
患者様のことを第一に考えて、「できるだけ削らない」「できるだけ痛くない」「できるだけ抜かない」治療を最大限心がけ、親切でわかりやすく丁寧な説明を常に心がけ、プライバシーを配慮した【完全個室】での診療を致します。
むし歯治療、義歯、歯周病治療、インプラント、小児歯科、小児・成人矯正(インビザライン)、口腔外科、審美・ホワイトニングなど幅広く対応し、包括的な治療を心がけています。
特に予防処置、審美、ホワイトニングなど、治療後のお口のトータルヘルスケア(むし歯や歯周病にならないサポート、生涯健康で美味しく笑って食事ができるサポート)の体制も、緊密に取り組んでいきます。
不安・心配・相談など治療以外のところにも一つひとつ誠意・誠実に対応させていただきます。患者様が当院を選んでくださり、当院の入り口に入った時から「心のこもった深い思いやり」や「心からのおもてなし」=ホスピタリティは始まります。
開業後はスタッフ一同、設備、空間、香りなどすべてを通して患者様を思うホスピタリティを感じてください。そして、末永く地域の皆様に親しまれるように努めてまいります。

院長 山村 邦仁 Kunihito Yamamura

略歴

  • 朝日大学歯学部卒業
  • 愛知学院歯学部附属病院診療総合科入局(臨床研修医)
  • 名古屋市内の歯科医院にて勤務
  • 小牧市内のかとう歯科クリニックにて副院長として勤務
  • 2022年12月長久手市久保山にてKuniデンタルクリニック開業

資格・所属学会

  • 日本口腔インプラント学会会員
  • 日本補綴歯科学会会員
  • 日本睡眠歯科学会会員
  • JACID会員
  • 国際食育士協会会員
  • 日本睡眠歯科学会会員
  • 日本スポーツ歯科学会会員

院長の生い立ち

01
赤ちゃんから、小学生まで

1988年5月に愛知県の名古屋市で生まれました。赤ちゃんの頃は、よく泣き、よく飲み健康そのもので育ちました。当時、母・父・祖母・祖父から大切に育てられました。
当時私は、「赤~赤~」と何ごとも赤色に反応し、叫んで、元気いっぱいに暴れていたと聞きました。当時、昼寝をすると夜遅くまで起きて母・父を困らせたのを覚えています。
祖母の知り合いの幼稚園に入学し、外で遊ぶことが大好きでした。また、おばあちゃん子でもあり、当時一緒に住んでいた父方の祖母とよく散歩したり・おんぶしてもらったり祖父と将棋をしたりしていろいろと遊んでもらいました。
また、母方の祖母・祖父の家に泊まることが大好きで「帰りたくない」と泣き叫んでいたことを今でも覚えています。
この頃から、父からサッカーや野球やスキーや泳ぎなどいろいろなスポーツを教えてもらい、結果的に走ることと蹴る事が大好きで、サッカー教室に入部しました。
当時サッカーが好きで、FWをやって点数を量産していたことを覚えています。
サッカーは、実に小学生まで継続してやっていました。

小学校生活では、当時スーパーファミコンが人気でよく友達の家でやっていたのを覚えています。また、かくれんぼや公園で野球・サッカーをしてよく遊んでいました。
高学年になり、サッカーとともに学習塾にも通うようになりましたが、勉強は嫌いでどうしてもいきたくなく何回もさぼって親に怒られたことを覚えています。
また、小学生6年生から思春期で反抗期になり親に迷惑をかけてしまったこともありました。塾の試験ではきまっていつも、最下位、最下位から二番目でした…。
この小学校生活では、幸いにも矯正治療をさせていただいてもらい歯科医院に行くきっかけが多くなりました。まだ、この頃の夢はパイロットやサッカー選手であり、自分が歯科医師になるとはまったく思っていなかったです。

02
中学・高校生活

中学から、東区の砂田橋駅にある中高一貫校の名古屋学院(名古屋中学、名古屋高等学校)に入学しました。男子校でもあり見渡すばかり男ばかりで初めは、すごい驚きがあったことを今も覚えています。
キリスト教の学校ということもあり、学校の真ん中にチャペルがあるのが印象的でした。
中学生活は、当時科目別に週に一度の確認テストに追われる日々で、落ちると追試試験が授業後にあり、そうなると授業後の部活ができなくなることもあり勉強をさぼれない毎日でした
体を動かすことが大好きだった僕は、中学は、軟式野球部に入部しポジションは、センターでした。器用にこなす内野手よりも大胆にできる外野を選んだことを覚えています。中学三年間の野球生活の中で、大事な大会の7回裏同点2アウト二塁で相手の攻撃、打たれたらサヨナラ負けの場面で打球が自分のとこに飛んで、盛大にやらかしてしまいチームはサヨナラ負けをしてしまったことが、今では記憶に残る思い出に変わりました。
中学生活では、将来歯科医師になるとは、思っていませんでしたし自分が何になりたいか当時夢もなかったです。
また、思春期真っ盛りの僕は、家族にも当時いろいろ暴言や行いが悪く、迷惑をかけてしまったことを今も覚えています。今は、感謝しかありません。

高校生活は、そのままスライドする形で名古屋高等学校に進学しました。
華の甲子園を目指して高校野球生活が開始しました。
今振り返ると、同じ世代で活躍するプロ野球選手では、ハンカチ王子こと斎藤投手マー君こと田中投手、元広島の前田投手、巨人の坂本選手、ソフトバンクの柳田選手など「プラチナ世代」とも言われた「88年組」です。
高校野球生活は、ポジションは、中学と同じセンター一筋でやってきました。
僕の華の高校野球生活は、夏の最後の大会は初戦敗退でありました…(笑)
高校生活では、文武両道に力を入れている学校でもあり勉強の方も、力をいれており必死にやっていた覚えがあります。
当時、数学が好きであった私は、理系に進みました。夏の野球生活までは特に将来何になりたいか明確な目標はなく、どうしたらいいかもわからず過ごす日々でした。
そんな、僕に進路に対して当時の高校三年生の時の担任の先生が「歯科医師はどうだ?将来自分でなにかをやる仕事をしてみてはどうか、器用だし人々も助けることができる」と僕の性格上を考えて言ってくださった。それがきっかけで歯科医師を目指そうと決心しました。今思うと、まことに自分にあった職業でもあると誇りを感じています。
また、進路もきまり後押しをしてくださった最大の存在である、「家族」はとても心強かったし本当に感謝でしかありませんでした。

03
大学生活

岐阜県の朝日大学の歯学部に入学しました。朝日大学の場所は、岐阜市と大垣市の間にある瑞穂市にある大学です。初めて、実家から大学の近くで一人暮らしを学生生活の6年間過ごしました。瑞穂市は、夏は暑く、冬は雪が多く降ります。名古屋よりも風が強くとても寒かったことを覚えています。
学生生活のサークルは、準硬式野球部に入部しました。夏の時期には、全国の歯学部の準硬式の大会があり一年生からレギュラー(センター)で試合に出させていただきました。
サークルでの一番の思い出は、当時4年生の時にキャプテンでピッチャーをやらせていただき、その歯学部の準硬式の全国大会で優勝したことがサークルの一番の思い出でした。
また、個人的に最優秀投手、大会MVPをとったこともうれしかったです。
仲の良い同級生とは、みんなで年中フットサルをしたり、夏は、野球、川でバーベキュー、プール 冬はスノーボードをして勉強の合間に学生生活をそれなりに楽しんでいました。また、仲間と飲むことが当時すごく楽しかったです。勉学のほうは、学年が上がるにつれて難しく、覚えることが増えていきました。

■1年生

基礎教育の時間であり高校生活の内容をさらに奥深く授業で習い、英語の時間は、歯科の歴史と歯科用語を必死に覚えたのを今でも覚えています。

■2年生

人体の解剖や構造や組織について学びました。特に貴重な解剖実習は一番の人生における衝撃と人体の構造がどのように実際になっているかを直接見て体験するという貴重な時間が今でも、自分の歯科人生における第一歩でありました。そして、提供してくださった方々の気持ちにこたえるように自分の今の足元でもあります。

■3年生

1、2年生で学んだ知識をもとに、歯科治療における一般治療の知識・手順などを学びました。ここでは、歯科の実習が多く歯科治療の器具を使用しながら模型を使用しながらいろいろ勉強したのを覚えています。

■4年生

口腔外科や矯正や麻酔、放射線など特殊な知識や治療などを学びました。また、この学年は、CBTという4年間で学んだことを総復習するパソコンテストや、患者様を想定した模擬実習テストがあり、必ず両方合格しないと次の学年に上がれないため勉強と練習を繰り返しやっていたことを覚えています。

■5年生

病院実習がメインでした。いろいろな科をまわり実際に行われている治療の手順や方法、器具の種類・準備・消毒・滅菌方法などを学習しました。そして、実際に患者様の問診や治療の補助など患者様の近くでより緊張感を持ってやらせていただいたのを今でも覚えています。また、同じ実習グループで麻酔実習や同意のもと互いの親知らずを抜歯したことも覚えています。また、家族のかたにも患者様として来ていただき、貴重な体験と勉強をさせていただいたのを覚えています。

■6年生

1月終わりの歯科医師国家試験にむけてひたすら勉強の日々でした。基本的に学校の授業後も学校に残りいつも夜遅くまで勉強したことを今でも覚えています。この頃の一番の思い出は、なにより人生で一番勉強した1年でした。
頭の中は、「落ちたらどうしよう」と不安な気持ちでいっぱいであり必死にくらいつきやっていた思い出があります。また、まわりに良いライバルや仲間がいたおかげでめげずにやりぬいたことは感謝しかありませんでした。
ここで必死にやったおかげで今の歯科医師人生があると思っています。同時に、誠実で思いやりがある歯科医師になりたいと思いました。
そして、現役で歯科医師国家試験に合格できました。
岐阜での学生生活終え、仲間とも別れ、一人暮らしを終え、実家に戻り愛知学院歯学部で研修医生活を迎えることになりました。

04
社会人

愛知学院大学歯学部附属病院に卒業後は、一年間研修医として就職しました。
1年間は、社会人としての教養や歯科技術における向上に努める1年間でした。
研修医生活終了後は、名古屋市内の歯科医院に一年間勤務後、小牧の歯科医院で約6年間勤務しておりました。小牧の歯科医院では副院長を務めさせていただき、患者様のためにより良い医療の提供に努めてまいりました。そこでは、さまざまなことを学ばせていただきました。まさしく師匠の存在として僕の成長を手助けしていただき今の自分があるのはその師匠のおかげでした。そして、今現在この地で無事開業でき、皆様により良い医療の提供と誠実と信頼の提供をしていきたいと思っております。

スタッフ紹介

皆様のご来院を
心よりお待ちしております